生活の雑記帳

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蝉の鳴く頃に

3年前の7月16日、時間はこの記事を書いている時間よりもう少し早かったかと思う。母から祖父が危篤との連絡があった。そして、1時間も立たぬくらいで再度母からの電話が鳴り、祖父が心不全で亡くなったと伝えられた。93歳であった。
亡くなる1年半ほど前に、転んで脊椎を損傷し、歩けなくなり入院を要するようになってしまった祖父であったが、病院に顔を出すと、「お、来たか」と笑いながら出迎えてくれ、気はいつもしっかりしていた。お盆の帰省の際には当然のように祖父に会えると思っていた。そんな矢先の出来事だった。

幼少の頃、私は母方の祖父のことを「セミのおじいちゃん」と呼んでいた。その頃、祖父の家には大きな柿の木やらがあり、夏になると沢山のセミが木にとまってミンミンと鳴いていて、妹弟や従兄弟達とセミを捕ったりして遊んでいた。そんなことから、私にとっては、セミが沢山いる家のおじいちゃん、そう「セミのおじいちゃん」だったのである。

毎年セミが鳴く頃には、おじいちゃんのとこでセミを捕ったな、などと子どもの頃の事をなんとなく思い出していた。3年前もそんな風に思っていた矢先に母から連絡があった。

セミが鳴くと幼少期を思い出す人生を送ってきたが、祖父が亡くなって以降は、幼少期の思い出と共に祖父と死を実感することになった。私にとって、幼少期の思い出だけでなく、大人になっても「セミのおじいちゃん」となった。

晩年少し耳が遠くなった祖父であったが、筆談混じりでのやりとりもよくした。朝から晩まで病院にいたときは、ノートが1冊なくなるほど(大きめな字を書くため)に書いたこともあった。そんな祖父が亡くなる前、母とのやりとりのなかで書いた言葉があった。


  なにもいうことはない りっぱなこと


その日、母に言うことがないから書いたことなのか、人生を振り返って言ったことなのか、今となってははっきりしないけれど、祖父が書いた最後の言葉はそれであった。長く入院しながらも、「今は満足である」とそのように自己評価できていた祖父の人間の大きさに、残された者は救われた気がした。

私も死ぬときに、そのように思って死ぬことが出来るのだろうかと自問自答するが、未熟な私には未だに答えは見つからない。ただ、そうありたいとは思う。

そして、これを書いてる今も、やはりセミはミンミンと鳴いている。


  雨上がり 祖父の思い出 蝉時雨 (筆者)


写真は、2年前ほどに撮った先祖のお墓がある福岡県朝倉市杷木の松葉地区。
一面に果樹畑が広がる。
朝倉市は災害により多くの被害があった。早期の復旧を心より祈る。

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# by ikkokukandesu | 2017-07-19 06:54 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

ひさびさですが。

滞っていたこの数年、思えばいろいろな事があった。そういったことは、追々にでも。

この数日の大雨、ご先祖様のお墓がある福岡県朝倉市では多くの犠牲者がでて、お悔やみを申し上げると共に、早期の復旧を切に願うところである。親戚の家は何とか無事であったようだが、今後も続くであろう雨などによる二次災害が起こらないことを祈りたい。

話は大きく変わってしまうが、数日前のこと、ベランダで彩りが現れていた。毎年花を咲かせてくれるハイビスカスに今年はちょっとしたアクセントがあった。
ピンク色のハイビスカスの隣に、白い朝顔が咲いていたのである。とはいっても、朝顔が一緒に育っていたと知っていたことはここだけの話。種類は違えど、紅白がとても綺麗に咲き誇っていた。

ハイビスカスの鉢に土を足したときに、朝顔が咲いていたところのを使ったので、朝顔の芽が出だしたときに「種があったんだな」と気づいた。朝顔の芽を取ってしまおうかなと思った折りに、ふとこの歌を思い出したのである。

  朝顔に つるべ取られて もらい水 (加賀千代女)

この歌を詠んだのは、元禄時代、加賀国(現在の石川県)で生まれた女流俳人 加賀千代女(かがのちよじょ1703-1775)である。朝顔の歌が有名な俳人でもある。
この歌の意は、「朝、水をくもうと井戸に行くと、井戸のつるべに朝顔のつるが巻き付いていて、それを外して水を汲むのは忍びないから、近所で水をもらうことにしよう」といったものだ。夏の風情を感じる個人的に好きな歌の一つでもある。
そして、我が家のハイビスカスと共に育ち花を咲かせた朝顔は、今も毎日花を咲かせてくれている。
しかし、写真を撮るときにふと気づいた事がある。お互い顔を背けてるから、仲良いと思っていた私の考えとは裏腹に、実は仲悪いのかな?答えはいかに。


  朝顔に 枝を取られて そっぽむく (筆者)

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# by ikkokukandesu | 2017-07-10 21:53 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

直方市の銘菓 その2

 先日、おばさんが(祖母の妹にあたる)が、大石の成金饅頭を送ってくれた。地元だとかなりの有名品なのだけど、まあとにかく美味しいのである。
 白あんの豆がこりこりほくほくと。そして何よりも大きいサイズのボリューム感。今回は、大きいものを送ってもらったのだけど、文庫本と比べても大きさが分かる。中にぎっしりつまったあんこに喜びは隠せない。とても美味しい贈り物だった。
 おばさん、ありがとうございました。


大石本家のHP

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# by ikkokukandesu | 2013-09-11 00:37 | 食べ物 | Trackback | Comments(0)

直方市の銘菓 その1

 お盆に福岡に帰省していたときの話。祖父が入院している病院(宮若市)へ向かうと途中、小竹町を通過していくのだけれど、途中にジャーマンベーカリーというお店の前を通過する。ベーカリーと名乗っているが、売っているのはシュークリームがメインのお店である。直方市のアーケード街にあるお店と、その後出来た小竹町の2店舗を構えている。直方市の方は、1932年創業のいわゆる老舗である。
 ここで少し直方市について触れておく。直方市は、筑豊地方が炭鉱で栄えた時代に、石炭の問屋的な街として栄えた場所であり、炭鉱が栄えていた自分は相当な賑わいであったようである。そうした中、疲れた身体にではないだろうが、この地方はお菓子屋さんが結構有名でもあったりする。その一つとして、このジャーマンベーカリーもそうだが、別項で述べる成金饅頭なんかも、今も変わらず有名なお菓子である。また、直方市は私が幼少期を育った場所でもある(補足w)。

 さて、話を戻そう。この小竹町のジャーマンベーカリーなのだが、シュークリームが売り切れたら閉店なのだ。そして、案の定、夕方近くにお店の前を通ると、いつも閉店前に店が閉まっているほどの人気商品がこのシュークリームである。
 そこで、お昼に通過した際、まだお店が開いていることを確認しおやつに購入した。小さい頃とかの、過去に食べたことあるのだろうけど、あまり記憶に無かったので改めて食す。味はと言うと、昔ながらという言葉がぴったりな味。カスタードも、僕の幼少期に家で母が作ってくれたような味。コンスターチを使って作っているみたいで、なるほど懐かしい味なのである。
 シンプルなものほど美味しいという言葉がぴったりな、美味しいシュークリームであった。


直方店の食べログ
小竹店の食べログ


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# by ikkokukandesu | 2013-09-11 00:25 | 食べ物 | Trackback | Comments(0)

『銀の匙』 中勘助 著

 先日、中勘助の『銀の匙』をふと読み直した。ずいぶん前に読んだときは、それほと印象に残ってなくてなんか読み終えた感じだった。深夜に同名のアニメをやってたこともあって、小説をなんとなく読み直してみようという気になったのである。

 冒頭部は、回想録風な作品で、こんな感じだったなぁって読み進める。ただ、この作品のすごさは作者の幼年から少年期の自伝的作品なんだけれど、読み進めると筆者の心の言葉がじわじわと伝わってくることにある。最後まで読み終わったとき、すごく読み終えた満足感に浸れる作品なのである。
 このことについて、和辻哲郎氏が解説を書いている。

 「『銀の匙』には不思議なほどあざやかに子供の世界が描かれている。しかもそれは大人の見た子供の世界でもなければ、また大人の体験の内に回想せられた子供時代の記憶というごときものでもない。それはまさしく子供の体験した子供の世界である。子供の体験を子供の体験としてこれほど真実に描きうる人は、(漱石の語を借りて言えば)、実際他に「見たことがない」。大人は通例子供の時代のことを記憶しているつもりでいるが、実は子供として子供の立場で感じたことを忘れ去っているのである。大人が子供をしかる時などには、しばしば彼がいかに子供の心に対して無理解であるかを暴露している。そういう大人にとっては、人の背におぶさっているような幼い子供の細かい陰影の描写などは、実際驚嘆に価(あたい)する。ああいうことは、大人の複雑な心理を描くよりもよほど困難なのである。こうなると描かれているのはなるほど子供の世界には過ぎないが、しかしその表現しているのは深い人生の神秘だと言わざるを得ない。 昭和十年 和辻哲郎」 (岩波文庫 引用)

 
 この作品を読むと、何とも言えない不思議な感覚があった。話にとりわけて起承転結があるわけでなく、たんたんと書かれているのに、惹かれていく何かがあるのである。それは、主人公の成長と、主人公に愛情を注いでいた伯母さんの交流が絶妙に描かれてるからなんだろう。最後、伯母さんと再会する場面は、よくあるパターンの話なのに、なぜか格別心に響く。それは、主人公がそれくらい伯母さんを慕っていたからであり、伯母さんも絶大な愛情を注いでいたからであろう。
 最後の一字を読み終えたとき、『銀の匙』という作品のすばらしさが収束される、そんな一冊である。
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# by ikkokukandesu | 2013-09-05 22:37 | 読み物 | Trackback | Comments(0)
 小学校頃、教科書に載っていた『手袋を買いに』や『ごんぎつね』を読んで記憶に残っている人も多いだろう。その作者である新美南吉が生まれて今年はちょうど100年だそうだ。
 新美南吉は、1913年7月30日に愛知県知多郡半田町岩滑(ちたぐんはんだちょうやなべ:現半田市)に生まれた。学校の教員の経歴を持つ彼であるが、結核のために1943年3月22日に29歳の若さで亡くなった。
 彼の作品には、地元の名称などがそのまま使われていたりして、郷土と密着した作風に親しみがわく。今でこそ有名な、『手袋を買いに』や『ごんぎつね』であるが、これは彼が亡くなった後出版された童話作品である。それらの作品も心に残る素晴らしい作品だが、彼の生前に出版された唯一の童話集『おぢいさんのランプ』(1942年有光社)に所収されているタイトル作品『おぢいさんのランプ』が、個人的に好きな作品だ。ちなみに、有光社から出版された本は、絵がかの有名な棟方志功である。
 『おぢいさんのランプ』は、おじいさんが孫の東一に昔話をするスタイルの作品である。昔話の時代は日露戦争頃である。文明が田舎の村に入ってくる頃の話なのだが、昔話のラストがすごく印象に残る作品だ。時代と共に生きた巳之助の生き様がとても引き込まれる、新美南吉の秀逸作品であると思う。

※出版当初は『おぢいさんのランプ』だったので、「おじいさん」は「おぢいさん」とした。


   夢と未来 過去をも照らす ランプかな


新美南吉記念館HP
おじいさんのランプ』青空文庫
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# by ikkokukandesu | 2013-08-05 00:45 | 読み物 | Trackback(1) | Comments(0)

木曽路(その2)

 さて、中津川市の資料館で話を伺った翌日、更に中津川市を北上して長野県木曽郡木曽町開田高原末川まで調査にいってきた。途中、馬籠宿にも寄りたいとは思ったけど、今回は目的地も遠いし寄り道は諦めた。馬籠宿は旧街道沿いにあるので、国道19号を通っていると少し寄り道をしなければならない。なぜ寄りたかったかというと、小説『夜明け前』の作者島崎藤村の出身が馬籠であり、舞台がそこなのである。また今度訪れようと思いながら、北上していく。
 旧中山道は、本当に山の中を通っている。どんなところかは、『夜明け前』の冒頭に示されている。木曽路を通るとき、この小説を読んだことがあれば当時と今の比較が出来てとても面白い。車を走らせ、地名を眺めつつ楽しみながら木曽路の山の中を抜けていった。


 木曾路(きそじ)はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。
 東ざかいの桜沢から、西の十曲峠(じっきょくとうげ)まで、木曾十一宿(しゅく)はこの街道に添うて、二十二里余にわたる長い谿谷の間に散在していた。道路の位置も幾たびか改まったもので、古道はいつのまにか深い山間(やまあい)に埋(うず)もれた。名高い桟(かけはし)も、蔦(つた)のかずらを頼みにしたような危(あぶな)い場処ではなくなって、徳川時代の末にはすでに渡ることのできる橋であった。新規に新規にとできた道はだんだん谷の下の方の位置へと降(くだ)って来た。道の狭いところには、木を伐(き)って並べ、藤づるでからめ、それで街道の狭いのを補った。長い間にこの木曾路に起こって来た変化は、いくらかずつでも嶮岨(けんそ)な山坂の多いところを歩きよくした。そのかわり、大雨ごとにやって来る河水の氾濫が旅行を困難にする。そのたびに旅人は最寄り最寄りの宿場に逗留して、道路の開通を待つこともめずらしくない。
 【島崎藤村著『夜明け前』冒頭より】


 木曽郡木曽町を目指す途中、木曽郡大桑村にある「道の駅大桑」に立ち寄る。ここで目について注文した牛すじうどんが本当に美味しかった。空腹は最良のスパイスとはいうけれども、思いの外たっぷりと入った牛すじのボリュームが、普通の肉うどんよりはるかに美味しかった。個人的にかなり気に入った一品であった。
 その後目的地では、お寺さんやら地域の人達に多くの話をしていただき、大変有意義な一日となった。昼を過ぎると涼しい風が吹き抜けるそんな木曽路での調査と相成ったのであった。おしまい。


   川べりの木曽路を抜けし夕涼み
              こはいかがぞと ひぐらしの声

道の駅大桑公式サイト
小説『夜明け前』青空文庫より(作品38~41)
木曽観光連盟のHP(ここに中山道について紹介があります)

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絶品「牛すじうどん」
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道の駅大桑前 空の青に雲がよく映える
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開田高原末川観光案内所前
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帰り道 大桑スポーツ公園そばの橋より
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# by ikkokukandesu | 2013-08-03 17:26 | ぶらっと | Trackback | Comments(0)

木曽路(その1)

 先月末、岐阜県中津川市に調査で何度か訪れた。現在の中津川市は、中山道六十九次のうちの、馬籠宿(まごめじゅく)、落合宿(おちあいじゅく)、中津川宿(なかつがわじゅく)の宿場町があった場所である。
 中山道歴史資料館にも立ち寄った。中山道についてとは別件で職員の方と話をしてたのだけど、ふと話が島崎藤村の『夜明け前』の話になった。ずいぶん前に、流し読み程度でしか読んだことがなかったのだけど、「実はあの登場人物はあそこの人でね」などなどと話を聞いていると、『夜明け前』の世界だと本題からそれて話に聞き入ってしまった。改めて、また読み直さないといけないな。
 ある程度、調査も終わっていたので、近くの町並みを少し探索。情緒ある町並みであった。

中山道歴史資料館HP

   いくひとぞ 通りすぎけり 夕涼み

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# by ikkokukandesu | 2013-08-03 16:55 | ぶらっと | Trackback | Comments(0)

堀辰雄著『風立ちぬ』

 映画『風立ちぬ』の補足的なことになる。

 堀辰雄は1904年12月28日に東京で生まれた。彼は肺結核を病み、軽井沢で療養していた際の1933年、そこで同じく肺結核を煩っていた矢野綾子と出会い、翌年婚約する。1935年7月には八ヶ岳山麓の富士見高原療養所(サナトリウム)に二人で入院するが、同年12月6日に綾子は亡くなる。その翌年から綾子とのことをもとにした『風立ちぬ』の執筆を開始する。
 当時、結核は不治の病であり、多くの患者がいた。結核患者の恋愛などを描いたサナトリウム文学と呼ばれる作品も登場した。本作品もその代表作の一つである。
 堀辰雄自身も、1953年5月28日に結核により48才で亡くなっている。

 生きようとするが、病状が悪化することも実感する。『風立ちぬ』で、節子(綾子がモデル)がこんな事を言う場面がある。

  「私、なんだか急に生きたくなったのね……」
  それから彼女は聞えるか聞えない位の小声で言い足した。
  「あなたのお蔭で……」

 生きることを諦めかけていた節子であったが、生きるための支えの存在に改めて気づく場面である。そのやりとりの後、忘れかけていた詩の一節、

  風立ちぬ、いざ生きめやも(風が立った、さあ生きようとしようか)

 という言葉をふと思い出していく。普段生きるということを意識して過ごしてはいない。でも、命の限りを感じたとき、生きようという気持ちが芽生えてくる。『風立ちぬ』を読んだのは、父が亡くなった後だったからかも知れないが、色々重なることもあり、すごく心に響いた作品だった。
 そのことがあって、宮崎駿の映画『風立ちぬ』はとても心に響いたし。ああ、堀辰雄の『風立ちぬ』がそこに描かれている。こんな鳥肌が立つような感情になったことは、映画を観て初めてだったから、今回の映画『風立ちぬ』は最高傑作だと個人的には評価する。

 宮崎作品にそれだけの影響を与えた、堀辰雄の作品を一度目にされてはいかがでしょうか。


青空文庫
風立ちぬ
美しい村』軽井沢での体験談
菜穂子』映画のヒロインの名前はこの人
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# by ikkokukandesu | 2013-07-23 15:00 | 読み物 | Trackback | Comments(2)

映画『風立ちぬ』

 宮崎駿作品『風立ちぬ』を観に行ってきた。感想から言うと、恥ずかしながら涙溢れる素晴らしい映画だった。ただし、子供や若い世代の人達にはちょっと難しくぴんと来ない事もあるかと思う。
 パンフレットのインタビューで、宮崎駿さんは、「子供はわからなくてもわからないものに出会うことが必要で、そのうちわかるようになるんだ」と言われて、「そう言う考え方もあるなあ」と映画作りをすすめたそうだ。確かに、分かることだけを伝えるのではなく、わからないということはなにかと言うことを伝える事はとても大事なことである。
 あと、この映画は零戦設計者の堀越二郎と作家堀辰雄をごちゃまぜにして、主人公二郎がつくられており、歴史背景とかいくつかのことを知っていると、より映画の中のことが繋がるかなとも思う。ただ、この映画は、個人的には、文学作品と歴史を見事に融合させたとても素晴らしい作品だと思う。堀辰雄については、著書『風立ちぬ』で体験をもとに書かれている。映画は、この作品のイメージがそのまま飛び出してきたように、そして広がっている。
 『風立ちぬ』を初めて読んだとき、涙がこぼれたのを思い出した。「生きること」「命」についての描写が素晴らしい作品だと思う。この作品を読んでから映画『風立ちぬ』を観るとより映画にのめり込めるかなとも思う。


  風立ちぬ、いざ生きめやも
  (風がたった、さあ生きようとしようか、いや・・・)  
               堀辰雄『風立ちぬ』より


映画『風立ちぬ』HP
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# by ikkokukandesu | 2013-07-23 14:03 | 映画 | Trackback(1) | Comments(0)

日常の戯れ言を徒然と・・・


by ikkokukandesu