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生活の雑記帳

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『空飛ぶ馬』北村薫 著

「こいくちしょうゆ」の字が「こんちくしょう」に見えてしまう人は、結構ディープな北村薫ファンじゃないかなと勝手に思ってる。この話題でうなずいてくれた友人は、今までに二人いた。『空飛ぶ馬』に所収の「織部の霊」の冒頭部でのなかにそれはある。

北村作品の『円紫さん』シリーズは大好きで何度も読み直してきた。殺人事件などない、日常の謎を解いていく推理小説。やりとりのなかに、文学やら落語やら入り乱れていてとても好きなシリーズ。女子大生と落語家というコンビもまた面白い。

そんなこんなで、たまに北村薫作品を読み直してきてかなりの年月も経った。この文庫本はもう20年以上も前に買ったやつだし、手垢で汚れてる。何度読んでも面白い証拠だと思う。その20年の間に自分も沢山の本を読んだりして、作中で触れられてる話題について深く知ったりした。そのことで、より作品の味わいを感じてるのだろうなと思う。そして、昨晩も読んで再確認。

来月には『太宰治の辞書』も文庫化で出るしそれも待ち遠しい。
秋の夜長にのんびり読むにはちょうど良いかな。


  紙めくる 音に重なり 秋の虫 (筆者)

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# by ikkokukandesu | 2017-09-22 20:13 | 読み物

さざれ石

先日、三本木神明社(日進市三本木町廻間129番地)を訪れた。神明社境内の広い敷地には多くのお社が建立されている。そのことからも、三本木神明社はこの地域の守り神としての役割を大きく果たしている事が分かる。

また、この神社境内には、戦没者を祀る忠霊社があり、さらには日清日露戦争時の紀念碑が2基建立されている。そんな碑の間に「細石(さざれいし)」があった。たまに見かけるが神社にあるそこそこ大きいものを久しぶりに見た。

さざれ石は、『君が代』の歌詞にも出てくるけど、案外見たこと無いって人が多い石でもある。さざれ石は、細石と書くように、小さな石のことであるが、『君が代』で歌われるさざれ石は、長い年月をかけて小さな石が石灰質の作用などでまとまった塊となったものを歌っている。


『君が代』が出たのでもう一つ。『君が代』の歌詞の元になったもの和歌をご存じだろうか。平安時代、醍醐天皇の勅命により作られた勅撰和歌集、『古今和歌集』にその歌詞の元となった和歌が収められている。


  わがきみは ちよにましませ さざれいしの
            いはほとなりて こけのむすまで


大意
あなたは、千年も万年も長く生きてください。小さな石が大きな石となって苔が生えるほど長い先まで。


この歌は、巻第七 賀歌の最初に、「題知らず、よみ人知らず」として撰ばれており、初句と二句以外は『君が代』と同じである。後の写本などでは、現在知られる「きみかよは ちよにやちよに」となってくる。時代的に室町時代あたりからのものからはそうなっているようで、その辺りの時代には現在の『君が代』の歌は詠まれていたようだ。
本来、和歌で「君」という表現は好意をよせる相手に対してのもので天皇を指すものではないが、時代の中で天皇の存在をより強く伝えるため、勅撰和歌集の中に、天皇を意味を匂わせる「君」という表現のこの歌を(手直ししたのか、意を合わせたのか)後世に伝える事となったようである。


さて、難しいことはさておき、こうした事からも普段和歌になじみのない人でも、日本人なら誰もが知る『君が代』を知っていれば、和歌を1首は覚えていることになる。そんな、歌に詠まれた「さざれ石」も結構近くで目にしてるのかも知れない。

偶然に「さざれ石」境内で見つけ、徒然と書き綴る。


  したたりし汗を拭いし参道に いかがあらんやさざれ石 (筆者)



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# by ikkokukandesu | 2017-08-19 21:06 | ぶらっと
5日(土)、岐阜県関市板取(いたどり)にある根道神社に行ってきた。この神社の境内には、通称「モネの池」と呼ばれている池がある。その辺りまで行く機会があったので、ちょっと脚を運んでみた。
岐阜市の方から関市へ向かい板取川沿いの道を進んでいくと、鮎釣りやキャンプを楽しむ人達があちこちにいた。そんな中、「モネの池」○○㎞と書かれた看板が目に入る。これがうわさのやつかと思いながら、現地近くまで行くと車が増えてくる。一番近い駐車場は駐めれないだろうなと、200m程手前の第二駐車場に駐めた。
そこから歩いて行くと、遠くに見える根道神社のあたりに祭りでもやってるのかと言わんばかりの人の列が。そして、現地に到着。「お、これがそうか」と池をのぞく。わき水が注ぎ込みできた池らしく、透明度がすごい。池の底までよく見える。山梨の忍野八海を見たときも水が綺麗だなと思ったけど、こちらも透き通るような水だった。
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神社に来たわけだし、まずはやはり参拝しなければと階段を上がってお参りを済ませる。上から見下ろしても池の底が見えるくらい綺麗な池、そして、人だかり。
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階段を下りて噂の池を改めて撮影。確かに、睡蓮の花が沢山咲いていれば綺麗だろうなと思わせる装いの池である。鏡のように澄んだ水面には、景色なども映り込む。紅葉の季節もよさそうだな、などと頭によぎる。そんな中、この池の鯉の中でも人気者がいるようだで、周囲にざわめきが起こる。ハートの模様がある鯉が2匹ほどいるらしく、その1匹が目の前にきた。まわりの女性達が「ほら、あれあれ!」などと集まり「こっち向いて」と鯉の撮影会。それを知ってか、そっぽ向いて反対側に泳ぎ出す鯉、ちょっと面白い。

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余談だが、別件で立ち寄った生涯学習センターで、職員とこの池の話をちょっとした。根道神社の池は、元々はホタルがいて「ほたるの里」と呼ばれていたようだ。しかし、誰かが鯉をこの池に放流したところ、鯉が幼虫やらを食べてしまい、今ではホタルは全く見られなくなったそうだ。周辺の川では今でもホタルはいる。そんな中、たまたまここで写真を撮った人が、良さに気づいてそれが広がり、現在「モネの池」と通称で呼ばれるまでになったとのこと。鯉によって、ホタルは見れなくなったが、偶然の産物として、この地の観光名所ができあがったとのこと。ハート模様の鯉の存在も、女性人気に拍車をかけ今にいたるようである。

この日は天気にも恵まれて良かった。結構山の中なので、ツアーなどで雨の日に当たったら不運としか思えないだろうな。

さて、せっかくだし神社の池以外の写真。
この地の神社をそのあと、五社ほどまわったがほとんどの神社の狛犬がこの一対と同じような形式だった。
参道を上がり、向かって右側の口を開けている狛犬:阿形(あぎょう)は玉を左前脚に携え、左側の口を閉じている狛犬:吽形(うんぎょう)は右前脚に子供を携えている。
神社を参拝したときに、狛犬を見て、「口が開いてるこれが阿形で、閉じてるこっちが吽形だね」などと言えたら通だと思う(笑)。気づいてるかもだけど、阿吽(あうん)から来ている名称。ちなみに、シーサーや山門の像なども一対になってる場合も、阿形、吽形という。
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口を開けてる狛犬:阿形

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口を閉じてる狛犬:吽形



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板取川 遠くに鮎を釣る人も見える

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道路脇の紫陽花も有名な板取


といった、ひぐらしの鳴き声と川の流れる音を聞きながらの根道神社参拝であった。


   青空を 水面に眺めし 夏涼み (筆者)

# by ikkokukandesu | 2017-08-06 22:33 | ぶらっと

蝉の鳴く頃に

3年前の7月16日、時間はこの記事を書いている時間よりもう少し早かったかと思う。母から祖父が危篤との連絡があった。そして、1時間も立たぬくらいで再度母からの電話が鳴り、祖父が心不全で亡くなったと伝えられた。93歳であった。
亡くなる1年半ほど前に、転んで脊椎を損傷し、歩けなくなり入院を要するようになってしまった祖父であったが、病院に顔を出すと、「お、来たか」と笑いながら出迎えてくれ、気はいつもしっかりしていた。お盆の帰省の際には当然のように祖父に会えると思っていた。そんな矢先の出来事だった。

幼少の頃、私は母方の祖父のことを「セミのおじいちゃん」と呼んでいた。その頃、祖父の家には大きな柿の木やらがあり、夏になると沢山のセミが木にとまってミンミンと鳴いていて、妹弟や従兄弟達とセミを捕ったりして遊んでいた。そんなことから、私にとっては、セミが沢山いる家のおじいちゃん、そう「セミのおじいちゃん」だったのである。

毎年セミが鳴く頃には、おじいちゃんのとこでセミを捕ったな、などと子どもの頃の事をなんとなく思い出していた。3年前もそんな風に思っていた矢先に母から連絡があった。

セミが鳴くと幼少期を思い出す人生を送ってきたが、祖父が亡くなって以降は、幼少期の思い出と共に祖父と死を実感することになった。私にとって、幼少期の思い出だけでなく、大人になっても「セミのおじいちゃん」となった。

晩年少し耳が遠くなった祖父であったが、筆談混じりでのやりとりもよくした。朝から晩まで病院にいたときは、ノートが1冊なくなるほど(大きめな字を書くため)に書いたこともあった。そんな祖父が亡くなる前、母とのやりとりのなかで書いた言葉があった。


  なにもいうことはない りっぱなこと


その日、母に言うことがないから書いたことなのか、人生を振り返って言ったことなのか、今となってははっきりしないけれど、祖父が書いた最後の言葉はそれであった。長く入院しながらも、「今は満足である」とそのように自己評価できていた祖父の人間の大きさに、残された者は救われた気がした。

私も死ぬときに、そのように思って死ぬことが出来るのだろうかと自問自答するが、未熟な私には未だに答えは見つからない。ただ、そうありたいとは思う。

そして、これを書いてる今も、やはりセミはミンミンと鳴いている。


  雨上がり 祖父の思い出 蝉時雨 (筆者)


写真は、2年前ほどに撮った先祖のお墓がある福岡県朝倉市杷木の松葉地区。
一面に果樹畑が広がる。
朝倉市は災害により多くの被害があった。早期の復旧を心より祈る。

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# by ikkokukandesu | 2017-07-19 06:54 | 雑記

ひさびさですが。

滞っていたこの数年、思えばいろいろな事があった。そういったことは、追々にでも。

この数日の大雨、ご先祖様のお墓がある福岡県朝倉市では多くの犠牲者がでて、お悔やみを申し上げると共に、早期の復旧を切に願うところである。親戚の家は何とか無事であったようだが、今後も続くであろう雨などによる二次災害が起こらないことを祈りたい。

話は大きく変わってしまうが、数日前のこと、ベランダで彩りが現れていた。毎年花を咲かせてくれるハイビスカスに今年はちょっとしたアクセントがあった。
ピンク色のハイビスカスの隣に、白い朝顔が咲いていたのである。とはいっても、朝顔が一緒に育っていたと知っていたことはここだけの話。種類は違えど、紅白がとても綺麗に咲き誇っていた。

ハイビスカスの鉢に土を足したときに、朝顔が咲いていたところのを使ったので、朝顔の芽が出だしたときに「種があったんだな」と気づいた。朝顔の芽を取ってしまおうかなと思った折りに、ふとこの歌を思い出したのである。

  朝顔に つるべ取られて もらい水 (加賀千代女)

この歌を詠んだのは、元禄時代、加賀国(現在の石川県)で生まれた女流俳人 加賀千代女(かがのちよじょ1703-1775)である。朝顔の歌が有名な俳人でもある。
この歌の意は、「朝、水をくもうと井戸に行くと、井戸のつるべに朝顔のつるが巻き付いていて、それを外して水を汲むのは忍びないから、近所で水をもらうことにしよう」といったものだ。夏の風情を感じる個人的に好きな歌の一つでもある。
そして、我が家のハイビスカスと共に育ち花を咲かせた朝顔は、今も毎日花を咲かせてくれている。
しかし、写真を撮るときにふと気づいた事がある。お互い顔を背けてるから、仲良いと思っていた私の考えとは裏腹に、実は仲悪いのかな?答えはいかに。


  朝顔に 枝を取られて そっぽむく (筆者)

ひさびさですが。_d0058658_21472976.jpg

# by ikkokukandesu | 2017-07-10 21:53 | 雑記

日常の戯れ言を徒然と・・・


by ikkokukandesu